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【古着で億稼ぐまで】明日から会社来るなで脱サラ どん底から古着で億を稼ぐまでの9年間まとめ

こんにちは!伊藤(@hirokazuito0821)です。

会社の売上を伸ばして、独立して、今度は自分の仕事も軌道に乗りました。ここだけ切り取れば、順調な起業の話に聞こえるかもしれません。

でも、実際は全然そんなことはありませんでした。突然の退職、半年に及ぶ入院、SNSでの大炎上。その後は一度セミリタイヤして、別の事業を試し、ようやく古着卸にたどり着いたんです。

今の会員制古着卸サービスは、最初から描いていた計画の完成形ではありません。うまくいって調子に乗り、失敗して考え直し、事業の形を変えてきた結果です。せっかくなので、成功した部分だけではなく、反省も含めてお話しします。

目次

1.研究職から海外営業へ。売上を伸ばした先にあった突然の退職

机に座る男性と、売上を3年で2倍にしたという字幕
会社員時代は、海外とのやり取りを速く進めることに力を注いでいました。

私は岐阜県岐阜市の出身です。父は警察官、祖父は自衛隊という、公務員系の家庭で育ちました。小学校、中学校では比較的勉強ができた方で、岐阜高校から名古屋大学へ進み、そのまま大学院まで修了しています。

専攻は理系で、微生物や遺伝子工学の研究をしていました。パンづくりなどに使う酵母を対象に、DNAやRNAを抽出して遺伝子を解析するような研究です。大学院時代には英語の論文も書きました。私の英文名である「Hirokazu Ito」が筆頭著者になっている論文もあります。

そこから就職したのは、大手のお酢メーカーの研究職です。工場に関わる仕事や、アメリカに関連した研究テーマを担当して、現地へ行くこともありました。

ところが、その後の転職先は中小メーカーの海外営業、輸出入の仕事でした。研究や技術の仕事から、いきなり貿易です。転職エージェントから面白そうな案件を紹介されて、飛び込んだような感じでした。

輸出入といっても、荷物の手配だけではありません。輸入した商品を国内で販売したり、輸出した商品を海外で販売したりする営業も含みます。30歳を少し過ぎた頃、その部署の責任者を任せていただきました。

ここでは本当に頑張りました。海外との取引には時差がありますから、夜中に届くメールもすぐ返したかったんです。携帯電話を握って寝て、連絡が来たら返信し、必要ならパソコンを開く。そんな働き方をして、入社前と比べて売上を3年で約2倍にしました。

成果が出て、周囲からも評価されると、やっぱり調子に乗るんですよね。当時は「いとう社長」ではなく「いとう課長」でしたが、自分のおかげで会社がよくなったと思うようになっていました。

その結果、社長の親族とトラブルになり、総務部長から翌日以降の退職を告げられました。2017年末から2018年初めにかけてのことです。独立に向けてじっくり準備して辞めたわけではなく、急に会社員生活が終わりました。

ちなみに、会社員時代にはアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、中国、台湾、韓国、マレーシア、ベトナム、インドネシア、インドなど、いろいろな国へ行きました。なかでも台湾は好きです。日本から行きやすく、食事も自分に合い、暖かくて、出張しやすいと感じていました。

2.2018年、本せどりに集中。ブログから出張コンサルへ広がりました

書店の棚が並ぶ通路に立つ男性の写真
独立直後は、店舗での本のリサーチに時間を集中させていました。

退職後、以前の取引先から転職のお誘いもいただきました。海外経験を生かして、ベトナムの公共工事に関わる案件などを担当しないか、というお話です。

でも、そのときはもう会社員に戻る気になれませんでした。「一人でできる仕事はないか」「収入をつくりやすいものはないか」とネットで探して、目に留まったのが店舗せどりです。

2018年1月、スマートフォンにプライスターを入れて、ブックオフでのリサーチを始めました。私は一度のめり込むと、そればかりやるタイプです。当時は朝10時から夜10時まで、1日12時間ほど店舗でリサーチをしていました。

それを続けて、約2か月で会社員時代の月収と同じくらいの、月40万円ほどを稼げるようになりました。中心にしていたのはセット本せどりです。

やることは、バラ売りされているコミックを集めて、セットにして販売することです。単品をそのまま売るのではなく、まとまった状態で欲しい人に届ける。それを延々とやっていました。

輸出入の経験があったので、eBay輸出や中国輸入も選択肢にはありました。ただ、中国輸入では現地や言語に強い人と競争する難しさを感じましたし、海外とのやり取りの手間も、仕事を通じて知っていました。

さらに、将来は教える仕事もやりたいと思っていました。当時は今ほどAIや翻訳が発達していません。言語の壁がなく、説明しやすい本せどりの方が、自分には合いそうだと考えたんです。最初のきっかけは「目に留まったから」ですが、続ける理由はありました。

本せどりを始めたのが1月10日頃で、ブログを開設したのは2月22日です。「超後発組ネットビジネス成功戦略」という名前で、特にセット本せどりのノウハウを書いていました。

すると、ブログを始めて約2か月で「教えてください」「名古屋へ行くので直接教えてほしい」という問い合わせが増えました。最初はチャットなどで返信していたのですが、だんだん追いつかなくなりました。

そこで始めたのが、相談者の住む地域へ私が出向き、1日対面で教える出張せどりコンサルです。料金は1日10万円に交通費を加える形でした。

これが、ある月には30件入りました。1か月は約30日ですから、ほぼ休みなしです。10万円の依頼が30件なら、コンサルの料金だけで月300万円になります。当時はまだ個人事業主で、本名の伊藤宏和として活動していました。

独立1年目でそこまで行くと、「自分は相当いけるんじゃないか」と思ってしまうんですよね。でも、次の年には、自分が動けなくなる事態が待っていました。

3.2019年、半年の入院。自分が動けなくても残った収入

病室のベッドに横たわる人の写真
順調だった独立生活が、長期入院で一変しました。

2018年末頃から足に痛みがあり、骨に腫瘍があることも分かっていました。手術が必要だといわれていたのですが、仕事を続けていたんです。

そんなとき、自宅の階段で転倒しました。その衝撃で骨折し、救急搬送されました。2019年は、半年に及ぶ入院生活になりました。

個人事業主にとって、自分が働けないのは大きな問題です。店舗を回れなければ仕入れができませんし、出張して教えることもできません。普通なら、収入が不安になります。

ただ、私の場合は、その時点でブログだけでなくYouTubeも始めていました。そこからメールマガジンの登録があり、せどりツールなどを紹介するアフィリエイトの収入もできていました。そのおかげで、入院中も生活を回すことができたんです。

現場で動いて得る収入とは別に、積み重ねてきた情報発信が支えてくれました。結果として助かった部分ですが、自分の身体だけに収入を依存させない大切さを感じる経験でした。

一方で、生活が成り立ったことで、また自信が大きくなってしまいました。成果が出るたびに浮かれてしまう。この流れが、次の失敗にもつながっていきます。

4.2020年、SNSで大炎上。注目が増えることと信頼は違いました

机に座る男性と、大炎上という赤い字幕

2020年頃は、当時のTwitter、現在のXで、かなり強気なキャラクターを出していました。いわゆるオラオラ系です。

反応は大きく、1か月に約5,000人のペースでフォロワーが増えることもありました。それで、また調子に乗りました。結果は大炎上です。

当時は自宅とは別に、撮影用のアパートを借りていました。そこを特定され、石を投げられるようなこともありました。ネット上の反応だけでは済まなかったんです。

コロナ禍とも重なって、2020年は炎上していた記憶が強く残っています。「もう消えた」といわれることもありましたが、結局、事業は続けてきました。

今は以前ほど炎上を恐れなくなっています。反応が増えれば露出も増える、と受け止められるくらいには図太くなりました。

5.2021年はセミリタイヤ。それでも自分の事業をつくりたくなりました

屋外で犬と一緒に立つ男性の写真と、犬の散歩という文字

炎上が続いて、さすがに嫌になりました。そこで2021年は、セミリタイヤに近い生活をしていました。

税理士事務所、せどりツール、せどり関連の案件などを紹介するアフィリエイトで、毎月の報酬が入る状態になっていたからです。当時の私には、それで暮らせるだけの収入がありました。

名古屋に住む必要もなくなり、愛知県の田舎の方へ移りました。毎日の仕事といえば、犬の散歩や爪切り、犬とウサギの世話です。

朝は近所の喫茶店へ行って、モーニングをゆっくり楽しみます。雑誌や新聞を読んで、2時間ほど過ごしてから帰宅する。そんな日々でした。

「そのままでよかったんじゃないですか」と聞かれることもあります。実際、生活だけを考えれば、それでもよかったのかもしれません。

でも、私はアフィリエイトの収入がずっと続くとは思えませんでした。紹介先のサービスなどに依存する面があり、自分で事業を動かして稼いでいる感覚とも違ったんです。

今は暮らせていても、この先まで同じとは限らない。それなら、自分の力で何かをつくりたい。そう考えて、また動き始めました。

6.2022年、出張買取とSNS運用代行に挑戦。再現性を考え直しました

段ボール箱や物品が置かれた倉庫内の写真
出張買取では、倉庫を借りてスタッフと事業を動かしていました。

2022年には、愛知県江南市で比較的大きな倉庫を借り、出張買取を始めました。ウェブ広告を出して集客し、スタッフも入れて取り組んでいました。

もう一つ始めたのが、企業向けのSNS運用代行です。TikTok、Twitter、Instagramなどの運用をお手伝いする事業でした。

これは物販とは別の仕事ですが、物販の情報を発信する過程で身につけたSNSのノウハウを使えました。加えて、当時入社してくれた社員がSNSに強かったので、その得意分野を任せて進めていました。

ただ、出張買取については、やってみるうちに「自分の目指す形とは違う」と感じるようになりました。

出張買取は、品物を手放す人から直接仕入れられるので、仕入れ原価を抑えられる利点があります。ですが、私が取り組んだ形では、担当者の経験や判断にノウハウがつきやすく、属人的でした。

ある人ができても、別の人が同じようにできるとは限りません。自分の会社で長く続けるモデルとして、再現性に課題を感じたんです。

そこで出張買取はやめました。これは出張買取という業種全体が成り立たないという話ではなく、私自身が取り組んだ事業への判断です。SNS運用代行は、その後も会社の事業として続けています。

7.2023年、古着小売から約1か月で卸へ。お客様に喜ばれる形を選びました

衣類の入った大きな袋が並ぶ場所で両腕を広げる男性の写真
古着を自社で販売するだけでなく、販売する人へ供給する側に回ろうと考えました。

古着事業に入ったのは、2023年3月頃です。きっかけは、当時のスタッフの知り合いから「古着をたくさん扱っているので、仕入れてみませんか」と声をかけてもらったことでした。

実際に仕入れて小売をしてみると、利益が出ました。「古着物販、いいじゃないですか」と思ったんです。

その方からは、安定的に古着を卸せるというお話もありました。でも、そこで私は別のことを考えました。

卸業者から買って小売をするだけでなく、自分たちが卸業者になって、小売もやればいいのではないか。そうすれば会社の事業にもなりますし、周りの人にも喜んでもらえます。

それまでにせどりのスクールも運営していましたから、生徒さんに古着を卸せば、仕入れの面でも役立てるはずです。自社だけで売るより、販売する人を支える方が、関わる人にとってよい形になると考えました。

小売だけをやっていた期間は、約1か月です。かなり早い切り替えだったと思います。本せどりのときも、始めて数か月で教える仕事へ広げました。私は一つの作業を長く続けてから次へ進むより、別の事業の形が見えたら、すぐに試すタイプなんです。

古着卸を始めてよかったことの一つが、古着に特化した情報発信です。

以前のせどり関連の発信では、検証企画や、ノウハウに対する強い評価など、エンタメ寄りの内容を多く出していました。一方、古着では倉庫の様子を継続して伝えるようにしました。

これがお客様から評価していただけました。古着卸はたくさんありますが、実際の倉庫や事業の様子を継続的に知れることは、取引先を判断する材料になります。私たちにとっては、ここが大きかったと思っています。

お話ししている時点では、会員数は500を超える規模になりました。内訳の目安は、法人が約80社、個人が約420名です。利用を希望しても、まだ入れない方がいる状況もありました。

さらに、写真撮影付きの商材「楽ちんパック」も始めました。古着そのものを供給するだけでなく、販売する際の作業負担を減らす形にしたところ、こちらも人気になりました。

古着事業で大切だったのは、利益の出る商品を見つけることだけではありません。仕入れを支え、仕事の実態を伝え、販売の手間も減らす。その積み重ねが、今のサービスにつながっています。

ここまで振り返ると、かなり遠回りをしています。会社員から本せどり、教える仕事、入院、炎上、セミリタイヤ、出張買取、そして古着卸です。最初から古着だけを目指していたわけではありません。

それでも、実際にやってみたからこそ、合わない事業をやめる判断もできましたし、お客様に喜んでいただける形も見つかりました。うまくいったときほど浮かれすぎず、自分が動けなくなっても続けられるか、関わる人の役に立つかを考える。これが、今の私につながっている反省です。

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