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いとう社長プロフィール

伊藤の経歴

幼少期~高校時代

私、伊藤は岐阜県岐阜市にある警察官の父親の家庭に生まれ育ちました。

生家の裏手には長良川と金華山。夏には鵜飼と花火大会。そんな風光明媚なところです。

みんなと一緒に何かをすることが嫌で、合唱も歌わない変わった子でした。落とし穴を掘って、祖父を落とすようなこともしてしたね。幼少期から勉強は好きで、周囲と比較してもできる方だったと思います。

中学からはひたすら読書に没頭して、司馬遼太郎はすべて読破したり、ジャンルは問わずにとにかく本を読んでいましたね。精読というよりひたすら多読する読書スタイルは今も変わっていません。

 

大学~大学院

高校卒業後は地元の名古屋大学に進学します。大学時代は登山とスキーに熱中してましたね。勉強はほどほどに頑張っていました。

読書好きはそのままで、歴史小説だけでなくて北方謙三などのハードボイルド小説や、東野圭吾のミステリーなども読むように。

理系だったので大学卒業後就職はせずに大学院に進学。毎日ホットプレートで昼食を作って、それを研究室のメンバーに売ってました。私の商売好きの原点だと思っています。

専攻は微生物で、ビールやパンを作る酵母という菌を扱って研究していました。ちなみに結構まじめに研究はしていて、論文もひとつ出しています(論文はコチラです)。

論文には私の名前が最初に書いてあり、論文の主たる実験は私が行なったことを意味しています。このような論文があれば高確率で奨学金が免除されるので、普通は大学の教授が申請前に見てくれます。しかし教授とあまり仲が良くなかったので、奨学金の免除申請の後に受理されることを露骨にやられました。

博士号を取ることも少し考えていましたが、大学に残って成功できるのは本の一握りの人だだと痛感し、大学に残ることを諦めて就職活動をしました。就職活動ではESは全通過、面接でも落ちたことがありません。リクルートスーツではなく、グレーのスーツで面接に行っていましたね。みんなと同じ服を着ているのに、個性的なことをアピールしても何の説得力もないですから。

 

大手食品メーカーの技術職

卒業後は某大手お酢メーカーの研究職として、5年間勤務しました。大学の同級生のほとんどが食品メーカーや製薬メーカーに就職していたので、ごくごく普通の進路をだったと思います。

アメリカ駐在も経験させてもらいました。英語半分、スペイン語半分の地域に日本人ひとりだったので、当初はストレスで毎日血尿が出る日々でした。何とか英語もマスターして、向こうで友達もできて、仕事でもそこそこ成果も出せるように。我が人生で最もエネルギッシュな時代です!

念のために説明しますけど、左が私ですからね(笑)

その後、海外系の仕事から国内の委託先の管理をする部署に移動しました。

勤めていた会社は血縁の人がずっと経営しているオーナー企業だったので、社長の弟が経営している印刷会社に仕事を振っているんです。本来、食品メーカーが印刷会社に仕事を依頼するなんてありえないことですよね。そしてその印刷会社の人たちはクビにならないことがわかっているので、仕事を甘く見ています。こんなオーナー企業にいたら腐ると思い、リクルートエージェントに登録しました。

 

中小メーカーの貿易課長になる

転職活動を経て、愛知県の某メーカーの海外営業職に転職しました。海外出張にたくさん行けるよーっていう甘い誘いに乗って転職しちゃいましたね。

営業職は未経験でしたが、ビジネスの根本的な考え方はどの部署でも同じなので問題なかったです。実際に年20回は海外出張に行かせてもらって、積極的に海外新規顧客開拓を進めた結果、1億円程度だった売り上げを、ほぼひとりで3億まで伸ばしました。

元々はアメリカ、韓国、中国にしかお客さんがいなかったのですが、世界に4社ほどしか作っていない地中測定器を扱っていたので、もっと売れると思って台湾やベトナムなど様々な国に展開していきました。


1番出張に行っていた2017年の頃のスケジュールを少しご紹介します。

  • 2月12日~19日:タイ・マレーシア・ベトナム
  • 2月20日〜23日:中華人民共和国
  • 3月5日~8日:韓国
  • 3月12日~20日:アメリカ・イギリス・ドイツ
  • 3月25日~30日:タイ

こんなペースで1年間出張に行ってました。

海外営業資料を作り、新規顧客を開拓し、商品を売って、アフターサービスもする。そんな生活を2年間送っていました。めちゃくちゃ忙しかったけど、インターネットビジネスに出会う前の人生で、1番充実していましたね。

アメリカ滞在中にパンチの効いたことをやろうと思い、毎月20万ほどの費用をもらっていた企業から2年分の注文をまとめて受注しました。もちろんその方が作るのも安くなります。

その企業が卸していた大口の企業のイメージカラーが黄色だったので、青色だった商品を黄色にしたらめちゃくちゃ売れましたね。ライバルの会社に比べたら機能性は劣るのにも関わらず、爆発的にヒット。

そして海外だけではなく日本円での売り上げも出すために、国内でも営業をかけて売り上げを作っていました。下水道工事に使用する、ドリルの位置を地上から探査する機械の設計なども行なっていましたね。

 

社長一族からのパワハラ、そして退職へ

転職して順風満帆な社会人生活を送っていましたが、事件は突然起こります。

アシスタントの女性と交際関係にあるのではないかという噂が流されてしまいました。現在はバツイチですが、当時は結婚していたのでもちろんそんなことはありません。

しかし社長一族に嫌われてしまった私は、今までの実績もどこ吹く風。会社での居場所を急速に失っていくのでした。

私が勤務していた会社はまたも典型的なオーナー企業でしたので、会社の要職は社長一族が占めていました。どれだけ仕事をしても、成果を出しても、社長一族に嫌われてしまったら終わりです。

このままここで働くわけには行かず、思い切って退職届を叩きつけ、先行きも何も見えないまま会社を後にするのでした。誰からも労いの言葉もなく、感謝の言葉もなく、ただひとり会社を去った日の心境は今も忘れていません。

これが2017年12月の話。有休消化があったので、正式に退職したのは翌年の1月20日です。

 

インターネットビジネス「せどり」との出会い

パワハラにあって会社をやめた私は、人間関係のストレスがなく、働く場所・時間も自由な仕事を探します。そんな私がインターネットビジネスに出会うのに大して時間はかかりませんでした。

インターネットビジネスと呼ばれるものには、いろんな種類があります。

  • アフィリエイト
  • グーグルアドセンス
  • せどり

FXなどの投資系も候補に入れれば無数にあると言えます。インターネットビジネスを始めるときに、それぞれの分野で教えている人がいることを知りました。そのときに自分も同じ教えるポジションに行けば、効率的に稼げると思ったんです。そんな選択肢の中で、私が「せどり」を始めたのは、前職の貿易の仕事で大きな意味のせどりを行なっていて、早く実績を出せると思ったから。

せどりの基本は安く仕入れて高く売ること。他のどのインターネットビジネスよりも分かりやすいですよね。貿易の仕事も国内で安く商品を仕入れて海外で高く売る、もしくはその逆です。円高・円安などの要素が加わるだけで、本質的なことはせどりとほとんど変わりません。

ブログで稼げる!メルマガで稼げる!って言われても、ピンとこなかった私が、せどりだけはすんなりと理解することができたんです。これが私とせどりの出会いです。

 

時給50円時代というドン底を味わう

せどりを始めた私は、せどりの聖地と呼ばれるブックオフに毎日通いつめました。会社を辞めていたので、毎日時間だけは十分にあります。

毎日ブックオフに行って利益商品をリサーチする日々。100個リサーチして1個見つかれば良い方でした。

Amazonに出品すれば利益は出ますが、これで生活していくなんて程遠い収入です。1日12時間仕入れた成果で、ガソリン代などの諸経費を差し引いて、見込利益600円なんて日もありました。時給計算を計算したら50円です。

 

せどり開始45日で月収30万円!

毎日とにかくブックオフに行ってリサーチしていると、徐々に仕入れられるように。さらに外注をすることによって仕入れ作業に注力できるようになり、どんどん稼げるようになりました。

元々、試行錯誤を繰り返して仕事をするのは好きな方だったので、気づいたらせどりでも持ち前の研究熱心なところを発揮していたんですね。セット本せどりや、ブックオフを中心にした独自のせどり手法を編み出して、せどり開始45日目で月収30万円を達成していました。セット本せどりは思考停止した状態でもできるので楽ですね。

サラリーマン時代とほぼ同じだけの収入をせどりで得ることに成功したので、せどりツアーのコンサル企画をスタートさせました。もちろんコンサルした方々も稼げるようになっていますよ。

 

緊急搬送されて入院

せどり開始100日でおよそ月収100万円、300日で月収300万円稼げるようになりました。

しかし2019年の1月頃から、右側の股関節に痛みを感じ始めます。せどりツアーの参加者にも歩き方がおかしいと言われていました。

複数の病院に行った結果、腫瘍ができていることがわかり入院。手術で腫瘍を取って終わりのはずでしたが、股関節が折れてしまったことで人工骨頭置換することになり、辛い闘病生活が始まります。

自分が動けなくなることで収入がゼロになるかもしれないと思い、外注などを駆使して入院しながらも月収300万円は維持していましたね。寝たきりの状態でメルマガを書き、むしろ収入は伸びていきます。

しかし動けないので膝が曲がらなくなってしまい、必死にリハビリします。今ではかなり膝も動くようになりました。それでも正座は未だにできません。

その後無事に退院し、杖なしでも歩けるようにはなりました。

 

月収1,000万円達成

  • ブログやTwitter、YouTubeなどの情報発信
  • メルマガ(ステップメール)の強化
  • 外注化

などを駆使して、現在は月収1000万円を達成しています。収入の柱をいくつも持っておくのはかなり重要ですね。

そしてパソコンを開く時間を短くすすればするほど、稼げるようになります。これまでは1日10時間ほどパソコンを触っていましたが、今は30分程度。

基本的に持ち歩くものはこれだけ。

 

いきなり脱サラして、せどりを始めた当初の私からは想像できないことですが、基本となるノウハウを身につけて、黙々と作業していれば月収30万円、300万円、そして月収1,000万円を超えることができました。

私がせどりからネットビジネスをスタートして、現在に至るまでやってきたことを全て私の公式LINEにまとめておきました。これは私よりも後発組として、これから副業(もしくはいきなり本業)としてネットビジネスにチャレンジする方へ、その道しるべとなるように私からのプレゼントです。

ぜひ、あなたも自分で稼ぐ力を身につけてみてください。きっと人生変わるはずです。

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